音信不通だった彼に会えた、母にも打ち明けた3 


 しばらく、駐輪場の隅に座り込んでいました。
 熱く焼けたコンクリが、お尻のほうから私を焼いていきました。
 焦げて、干からびて、轢かれたカエルのような心持ちでした。
 のろのろとケイタイを取り出して、友人に電話をかけました。
 ゆいいつ、事の成り行きを知っている友人。
 今あったことをかいつまんで話して、自分の頭のなかを整理しました。
 「だいじょうぶ?」と心配してくれる友人に、「だぶん、だいじょうぶ。」と言うしかありませんでした。
 もう、へとへとでした。
 そうだ、母に言ってしまったほうがいい。
 本当は、父の退院が決まったら、三人そろったところで話すつもりでした。
 けれど、それまで、一人で抱えて待つ自信がありませんでした。

 母とやっと連絡がとれて、「話があるから。」と。
 電車で約20分。
 その間に、カイくんとの三年間の出来事が、ぐるぐると頭の中を回っていました。
 楽しかった旅行のことや、冬に見たイルミネーション、何度も行った水族館。
 指輪を買ってくれようとしたこと。「あきちゃんは俺の家族だ」と言った彼の言葉。
 ぜんぶ、私の幸せそのものだった。


 母と、喫茶店に入りました。
 話のシミュレーションは、できていました。
 どうやったら、正確に、ショッキングにならない表現で伝わるか。
 ここのところ、ずっと考えていました。


「付き合ってた人がいるの、三年前から。
 これ見て。」

 この間作ったアルバムを、持ち歩いていました。
 思い出を失わないためと、このときのために準備したものです。

「へえ。」

 母は驚くというよりも、カンシンした、というような顔をしていました。

「どこの人?」

 とアルバムを見ながら母。

「○○の人。」

「何歳なの、この人。」

「ん、同い年。
 大学のときからの友だち。
 高校の時の友だちのつながりでね。
 三年、付き合ってて、結婚しようって、前から言われてたんだけど。
 四月にね、オーケイしたの。
 でも、だめになったの。向こうのカイシャに調査されて。五月の初め。
 この人ね、警察官なの。
 お父さんと、お母さんが、共産党員だって、わかったから。
 向こうの家族、本人と、お母さんと、お兄さんがうちまで来て、謝られたの。」

 一気に、しゃべりました。
 親の前でこんなに多弁になったのは初めてかもしれません。
 警察を、会社と表現したりして、少し心が痛みました。
 ふんふん、と聞いていた母。

「そうか〜」

 かなり軽い反応でした。
 少し、意外だったような、そう仕向けていたから、安堵したような。

「知ってた? 警察と、共産党が仲悪いって。」

「まあ、そりゃね。」

 ああ、そうなんだ。
 私が世間知らずだったんだ…。

「実は今日、会いに行ってたの。さっき。
 聞いたら、話が変わってた。
 調査したのが警察じゃなくて、この人が自分で、友だちに頼んで調査したって。
 で、結婚に反対してるのが、上司じゃなくて、お母さん、てことになってた。
 個人でしたって言ってるけど、たぶん、うそ。そう言えって言われてるんだと思う。」

「親が共産党だから、結婚できませんて?
 あき自身がじゃないのに?」

 母は、思想信条の自由というのがあるのよ。
 と、日本の世の中について語りました。
 教科書に載っている、あるいは少し調べればわかる、基本的な情報でした。

 私はカイくん自身が嫌われてしまう気配を感じて、彼について語りました。

「ひとがらは、すっごく良いのよ。
 やさしーい子でね。
 ふにゃふにゃっとしてる。」

 自分で言って、ちょっと笑いました。
 カイくんの持ってるやさしい雰囲気、決定権をいつも譲ってくれるところ、人を信じやすいところ。簡単に言うと、そうなっちゃうのです。
 母も笑いました。
 剛胆、ニヒリスト。語彙を変えればきついですけれど、そこらへんのおばちゃん、なのです、母だってその辺は。ヘタレな男は笑いのタネになります。

「まあ、いい人そうだけどね。」

「うん」

「でも、頼りないなあ、人に反対されたから、結婚をやめるって。」

「うん、知ってる。」

 私は笑顔で返しました。
 頼りがいがあるから好きになったわけではありません。
 頼ろうと思ったこともない。
 ただただ、存在が心の支えでした。

「おうち、用意してくれるつもりだったみたい。
 おばあちゃんとお母さんと、三人で住んでるんだけど、本人以外がアパートに移るって。
 ほんとに、結婚するつもりだったんだよ。
 でも調査されちゃって…」

「うちに挨拶しに来る前に?」

 それをきかれて胸が痛みました。
 私が、いちばん後悔していることです。

「おととし、旅行に行ったんだけどね。そのときに、会わせてほしいって言われた。
 でも、私の決心がついてなかったから。
 前から、向こうは会いたいって、言ってたんだけどね。
 お父さん、あんなだったでしょ、特に四月。」

「ああ、そうね。」

「会わせといたらよかった…」

 私の心の底からの呟きです。
 カイくんのことを、少しでも両親がわかっていたら。
 私の心の痛みも、複雑さも理解してもらいやすいはず。
 だって、カイくんの良さ、伝わってたはずだもの。

「でもねえ、お母さんに反対されたくらいで、大の男が、結婚あきらめる?
 別れる口実じゃない?」

 私はちょっとガクッときました。

「別れる口実なら、そんなめんどくさい理由、もってまわらないでしょ。
 他に好きな人ができたとか、もう冷めた、とか。
 他に、だれでもなっとくできる理由が作れるでしょう。」

「そうね。」

 ここで初めて母に名前を教えました。
 やっぱり聞き覚えのないめずらしい名前だそうです。

「カイくんのお母さんがね、強い人なの。
 家のことを全部仕切ってるっていうか。
 お父さんいないから、その代わりって思って、思い入れが強いんじゃない?
 お母さんとの結びつきが、強いのよ。」

「お母さんは、親に反対されたくらいで、結婚あきらめるなんて、ろくな男じゃないと思うな。」

 きっぱりと母が断言しました。
 ろくな男じゃない…少し胸に刺さりました。
 でも、はたから見た事実は、そういうことなのです。
 母はさらに続けました。

「ほんとに結婚したかったらね、そのカイさん? 籍を抜くなり、親と縁を切って親元を離れるなり、すればいいのよ。
 あきが養子になるとか。
 悪いけど、結婚するほど、良い人には思えないな、お母さんは。
 三十手前にもなって、お母さんの言うこときくなんて、まともな大人じゃないわよ。」

 これには少し異論がありました。

「お母さんが反対してる、じゃなくて、会社が反対してるかもしれないの。
 お父さんが亡くなって、お母さんがヒステリーっていうか、精神的に不安定なところ、あるんだと思う。」

「だったらなおさら、そんなのわかってて、苦労背負い込むような結婚してもね。」

 なんだかどっかで聞いたようなセリフ。
 昼ドラか?
 ちょっと白けました。

「苦労しない結婚ってあるの?
 お母さんは?」

 ちょこっと、返してみました。

「そりゃね、結婚したときは、お母さんも苦労したけど。」

 私が3つのときになくなった父方のおばあちゃんは、少なくとも3年は母といっしょに住んでいたはずです。

 結婚したらおそらく同居はいずれあるだろうし、うまくいかないのが普通なのにさらに問題かかえるなんて…云々。
 なんだか嫁姑昼ドラそのままみたいな古臭い話を持ち出すので、私は嫌になりました。
 母、こんな感覚の持ち主だったか?

「そんなの覚悟の上だよ。」

 嫁姑の確執が嫌なら、カイくんの家に連れて行かれた時点で、ギブアップしていたはずです。
 あのお母さんに。


 母は政治の話も、思想信条の話も、教員らしく理路整然と語ってくれました。
 しかし、共産党擁護にまわっていることは確かでした。

「日本は自由じゃないのよ。」

 共産党の内容を知らない私にとっては、他はただの情報でしたが、そのことだけは、心に響きました。
 日本が保障しているはずの自由は、ほんとうは無い。
 私は、自由ではないのだと。身をもって知らされたのですから。


 母が言いました。

「あきがそこまでこの人と結婚したいって言うんなら、したらいいと思う。
 お母さんは反対しない。
 けど、ひとこと言っておきたいわね。悪いけど、文句言いに行かせてもらうわ。」

 カイくんに会うには、こちらから出向いて捕まえるしかない、と母に言いました。

「今日なら、家にいるんだけど…」

「今日? いいわよ、行こうか?
 お母さん、なんの心の準備もできてないけど。」

 明けで帰ったって事は、今寝てるなぁ…。
 普段どおりの気遣いが自分のなかにあるのに気づいて、ちょっと苦笑しました。
 私の精神状態はかなりの緊急事態なのに。

 結局、いきなり行くのも失礼、となり、次の私の休みに、カイくんの家まで行くことに決めました。
 母がカイくんのケイタイにかけましたが、知らない番号のこと。
 とってもらえるはずもなく。
 私が母のケイタイの番号と、次にそちらへ行く、ということをメールで送りました。
 メールは読んでるって言ってたから。
 その後、もちろん返信はありませんでした。

 母は話のとちゅう何度も「返事あった?」と私に聞きます。

「だから、もうそういう状況じゃないんだってば。
 向こうは拒絶してるの。
 今日だって、駅で待ち伏せしたから、会えたんだよ。」

 会えると思ってなかったけど。



 母に、私が結婚するとしたら、相手の背景は気になる? と問いました。

「そりゃ気になるわよ。どんな人なのか。
 べつに、どんな人だって、反対はしないけど。
 あきがぜったいこの人って言う人なら。
 でも無職とか、犯罪者は困るわね。
 悪いけど、相手がお金巻き上げるだけの宗教団体とかに入ってたら、お母さん、徹底的に言うわよ。」

 母は強し。
 いまさらながらにこの人のすごさに感心してしまいました。
 あわてた様子も、悲しむ様子もなく、私の話を聞いてくれました。
 娘の初めて聞くカレシの話。結婚の約束をして、それがすでにだめになっていて、その理由が尋常ではないという話なのに。

「お父さんには自分から言うことね。
 お母さんからだと、脚色してしまいそうだから。
 そのカイさんのことを悪い方に。」

「もちろん、自分で言うよ。」

 ほんとうは、両親そろって三人で話したかったのだけれど。
 次は、父に話さなければ。

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