音信不通だった彼に会えた、母にも打ち明けた2
手をつないで、再び歩き出しました。
どの道をどう通ったのか、全く覚えていません。
カイくんばかり見ていました。
横顔、後姿。
日焼けした腕に、手で触れて。
「今なら、会えるよ、私の親。
お父さんも病院から帰って家にいるし…」
「うん」
そこではっと気づきました。
「メールは? メール、読んでくれてたの?」
お父さんの入院は、メールでしか知らせていません。
「読んでるよ。返信しないけど。」
硬い声のカイくん。
でも、驚きと、喜びが、ふわりと舞い降りました。
メールに、いろんなことを書いて託していました。
愛してる、私、一生結婚しない。
お父さん入院したの。
こんなに人生がつらいなんて思わなかった。
昔の楽しかった思い出。
キスしたこと、素敵だったエッチのこと。
全部、カイくんにメールで語っていました。
「今日ね、お母さんこっちにきてるんだ。
会う?」
偶然か必然か。
母が、うちの近くまで仕事で来ていました。
夕方に二人で会う約束をしていたのです。
「明けのこんなぼやけた頭で会って、何をしろと?
なんにも話できないぜ、俺。」
さっきとは変わって、冷たい口調のカイくん。
「いいのよ、会うだけ。
この人ですって言って、自己紹介して、それだけ。」
私はケイタイを取り出して母にかけました。
が、つながりません。
「だめか。」
そう言ってるうちに、駅が見えてきました。
「こっから帰れ、な。」
とカイくん。
背中を冷たいものが走りました。
これが最後なんて、ぜったい嫌だ。
「いや、帰らない。」
カイくんの手を強くつかみました。
腕といっしょに抱きかかえて。
「帰れって。帰って、休め。」
振りほどこうとするカイくん。
「やだ、これが最後なんていやだ。」
「今日は、これで帰れって。
話なら、いつでも聞いてやる。」
一筋の、光でした。
「メールも電話もとらないけど、来るなら話はしてやるから。
だから、今日は帰れ。」
私の手から自分の手をほどきながら言いました。
「メールも電話もなしでどうやって?」
「勤務表、渡してあるだろ。」
休みの日か明けの日に来いってこと?
約束して、会うことはできないということです。
私の一方的な勝手、という形なら、会うことが可能ということ。
ほぼ全責任を、私が負うということです。
カイくんを、抱きしめようとしました。
が、かわされました。
「ここで話をしていても、何も変わらない。
男に二言はないんだよ。
いまさら、撤回なんてできないからな。」
そのときの、仰ぎ見たカイくんの恐い顔。
真夏の日差しが、逆光になっていました。
恐ろしさにすくみながら、私はのどを絞りました。
「撤回したって、いい。」
そう言うのが精いっぱいでした。
カイくんが歩き出しました。
駐輪場に向かっています。
ここから、バイクで帰るから。
私は一生懸命、後を追いました。
カイくんが走れば、私なんか簡単に振り切れたはずです。
私は、再びカイくんの手をとることができました。
「好きなの。」
もう一度言いました。
「好きなの。ずうっと、愛してる。」
カイくんは、手を振りほどきませんでした。
駐輪場まできて。
「な、もう帰れ。
俺、今日、一度でも逃げたか?
逃げようとしなかっただろ?
言いたいことあるなら、話は全部聞くから。」
カイくんは優しい声に戻っていました。
「じゃあ、親に会って。」
「わかった、来るなら、会う。」
私はもう涙でぐしょぐしょでした。
つないだ手を、離したくない。
「じゃあな。」
駐輪場へ入っていこうとするカイくん。
「抱きしめるぐらい、させてよ。」
引き戻すと、カイくんは止まっていました。
自分からは腕を上げようとしません。
私はカイくんにしがみつきました。
ずっとずっと、求めていた。
この三ヶ月、一生抱くことができないと思っていたカイくんの体。
私の頭はカイくんの胸あたり。
顔をうずめて、力いっぱい、しがみつきました。
そして、声を上げて泣きました。
カイくんの白いワイシャツが、涙で透けていきました。
「そんなしがみつくなって。」
顔を上げると、カイくんは悲しそうな、微笑んだような、困ったような顔をしていました。
つい、と、カイくんが指で私の右の二の腕に触れました。
「自分を、傷つけるようなこと、するなよ。」
右腕が、4箇所、皮がめくれて血がにじんでいました。
指4本分の爪あと。
さっき、定食屋で話していたときに、自分でやったみたいです。
私は苦笑いしました。
久々に見たその光景。
「クセなの。もうしないよ。
ほんとはね、付き合いだして、最初のころ。
エッチのとき、電気消してって言ってたでしょ。これなの、ほんとは。」
クセといっても一生でそのときだけでした。
きいちゃんと結ばれるその前の数ヶ月で、私の二の腕は傷だらけになっていました。
極限まで悩み苦しむと、知らないうちにやってしまっていて。
見られるのがいやで、服を脱ぐときは電気を消していました。
付き合ってからは、一度もしたことがありませんでした。
「傷なんてつけるなよ」
カイくんがもう一度言いました。
「もうしないから、だいじょうぶ。」
手をさしのべて、カイくんのほほに触れました。
明けでヒゲの伸びたほほ。
懐かしい感触。
カイくんがまた、私の涙を指でぬぐいました。
「泣くな。泣いても何にもならない。」
腕をカイくんの首にかけて、頭を引き寄せました。
唇に、唇を合わせました。ほんの一秒もないくらい。
カイくんは、逃げませんでした。
いとおしさと、切なさが、一気にこみ上げてきました。
カイくんが、私の顔を見回している視線の動きが、数センチの距離でわかりました。
もう一度、キス。
カイくんは、逃げない。
思い切りしがみついて、ほほと、首筋とに、キスをしました。
汗ばんだカイくんの首筋。軽くすうと、あのとき聞いた、切ない音がしました。
「じゃあな。」
また、カイくんが言いました。
身を翻すカイくん。
私は、また、足の力が抜けて、その場に座り込んでしまいました。
駐輪場の通路のど真ん中。
人が通って行くのを知りながら。
カイくんが、戻ってきました。
「ほら、立って。
人が通るから。」
また、私の両腕をつかんで、ひっぱり上げました。
が、立てませんでした。
あきらめてカイくんが、私の目の前にしゃがみこみました。
「いつまで、ここにいるつもり?
俺、帰るよ?」
いたわるようなやさしい口調でした。
「カバン、閉めとくよ」
落ちていた私のバッグの口が開いていました。
これも、カイくんが過去、何度も私に注意したことです。
私は泣きじゃくりながら、カイくんのほほを両手で挟みました。
「カイくんは、泣かないの?」
「俺? 泣いたよ。
もう、俺は泣き飽きたんだよ。」
あきらめと、寂しさとせつなさ。
カイくんは、すこうし、微笑んでいるようにも見えました。
「カイくんが、幸せじゃないよ。
カイくんが、幸せになれないとだめだよ。」
するとカイくんはまた、悲しげな微笑を見せました。
「俺は、幸せじゃなくていいんだよ。」
「だめだよ…そんなの」
「いいんだ。」
切なさに、さらに涙があふれました。
どうにもならない現実。
意志では変えれない、自分の「好き」という感情。
どこかで味わったことのある、深い深いやりきれなさ。
そうだ、大河と別れたとき。
カイくんと、会いたくても、連絡さえ取れなかったあのころ。
私は立ち上がりました。
カイくんがまた言いました。
「じゃあな。何度言わせるんだよ。
帰りなさい。」
駐輪場に足を向けるカイくん。
「帰るとこなんかないよ。
死ぬことにする。」
そう言って、私はやっと、カイくんに、背を向けました。
今、私、なんていった?
死ぬって言った。
電車が、ゴオッという音を立てて、通り過ぎました。
そこから、身動きできませんでした。
死ぬ…私が、死ぬ?
14のときの自分への誓い。
意志と努力で生き抜いて、自死を選ばない。
過去の苦しみは、未来の喜びの糧。
あの電車に飛び込んだら死ねる。
死ぬ?
死ねる?
何もかも捨てられる?
自分への誓いさえも?
何分、経ったでしょうか。
電車が何本か通り過ぎました。
我に返ったとき、振り返るのが恐くなりました。
カイくんの気配がなかったからです。
耳で、カイくんを探しました。
いないかもしれない…
それでもしょうがない…
呆然としたまま、振り返りました。
カイくんは、そこにいました。
身じろぎもせず。
私は駆け寄りました。
「だいじょうぶか」
鉄柵にかけられたカイくんの手。
その手に自分の手を重ねて謝りました。
「ごめん…
もう言わない。
ごめん。」
指先に、唇を持っていきました。
汗で湿ったカイくんの指に、何度かキスをしました。
いとおしみながら。
カイくんの反対の手が、私の頭をなでました。
「じゃあな。おれは帰るから。」
今度こそ、カイくんは本当に帰っていきました。
カイくんのバイクを見送って。
しばらく、そこに座っていました。
頭の中では、カイくんの話した言葉が、ぐるぐると回っていました。
カイくんの汗ばんだ肌の感触とともに。
- [2008/08/07 02:37]
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